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2006年8月30日(水)31日(木)
平成18年8月30日私は硫黄島を訪ね、航空・海上自衛隊の多くの自衛官の皆様に私の講話を聞いていただきました。
硫黄島で講演する筆者
翌31日太平洋戦争の戦跡が封印されているような島内を航空自衛隊硫黄島基地司令の倉内繁光一等空佐外2名の自衛官のご案内を頂き一巡することができ懇切な御説明を受けました。
あの栗林忠道中将の指揮した小笠原兵団司令部壕に用意してくれたヘルメットと長靴と全身つなぎのナッパ服を着て壕内に入りましたが、地下の猛烈な湿度や温度で丁度サウナ風呂に入ったように全身汗まみれになりました。
多くの将兵が水も食糧も少ないこの炎熱の地下壕の中でよく耐え、戦意を失わなかったのは驚きです。
又、場所によっては有毒な硫黄ガスが発生しているところがあります。当時スコップとツルハシで地下壕工事に従事していた将兵の苦労が忍ばれる過酷な戦いの跡でした。
鎮魂の摺鉢山
補給は断たれ資材不足の中で全長28kmの計画のうち18km程度しか完成を見ませんでしたが本土防衛のため徹底抗戦する戦闘には十分その役割を果たし、5日で平定を想定して上陸した米軍と戦史に残る36日間の死闘を繰り広げたのです。
生還した越村敏雄元一等兵は次のように回想しています。
「太平洋戦争の全期間を通じて、これほどの出血を米軍に強要した戦線はなかったとして戦史に特筆されている。だがそれだけではあの島で死んでいった二万の将兵は惨めすぎるであろう。彼らは島に上陸したその日から硫黄と塩の責め苦から逃れることが出来なかった。それはこの島で死ぬまでつきまとった。燃えるような渇きが襲いかかり激しい下痢と高熱に冒された。やがてこの島に特有の恐ろしい栄養失調症にとりつかれ、果ては立木が枯れるように無数の兵が敵の上陸を前にして死んだ。そして痩せさらばえて生き残った人間の集団が凄まじい火力と鋼鉄に激突して戦った。」
・・・越村敏雄著「硫黄島守備隊」7頁より(徳間書店)
米軍上陸記念壁画
米軍にとっても日米が死闘したこの戦いはゲティスパークの戦い(南北戦争)をしのぐとも言われ、死傷者の数も米軍の方が多く太平洋戦争を通じてアメリカ国民の最も「記憶に刻まれた」戦いであり、この島は「地獄の戦場」であった。
アメリカの攻撃にさらされる日本領土での初の守備隊として栗林は日本本土への爆撃の阻害と、この戦いにいくぱくかの勝機を見いだし和戦への途を期していたのであろうか。しかし戦闘においては敵に多大の損害を与えたが戦略的には栗林の希望的観測とは反対の結果を招いたのである。大本営の戦術指導は失敗した。この島の将兵達もまた魔性の歴史(米内光政海軍大将)で勝算の見込みのない悲劇の戦争に突入した犠牲者達である。
今でも「摺鉢山はどこだ。」と訓練のため硫黄島に降り立つ米兵は必ずといっていいほど在島の自衛隊員に尋ねるという。
アメリカのアカデミー賞監督、クリント・イーストウッド氏は次のように述べております。
「61年前、日米両軍は硫黄島で戦いました。何万もの若い日本兵、アメリカ兵が命を落としたこの過酷な戦闘は、それ以来ずっと両国の文化の中で人々の心に訴えかけてきました。若い日本兵たちは島へ送られたとき十中八九、生きて戻れないことを知っていました。
彼らの生きざまは歴史の中で描かれ語られるにふさわしいものがあります。私は日本だけでなく世界中の人々に彼らがどんな人間であったか知って欲しいのです」
…ワーナーブラザーズ映画、日本とアメリカから見た2つの「硫黄島」より。
クリント・イーストウッド監督は映画撮影に入る前の昨年(2005年)この島を訪れております。
今、日本軍の戦跡はなお激しい勢いで消滅しつつある。 硫黄島特産の「激辛唐辛子」になぞらえて言えば、戦後61年が過ぎ自国の過去に対する「健忘症」は自虐的歴史観によって日本人としての国民意識(identity)は蝕まれて来た。
一方各国ではネーション「国家」という「繭」を必死に求め、それを強調しようとする人々も増えており過激なナショナリズムの台頭を迎えて危険も増している。
米軍M4戦車(シャーマン戦車)
戦後わが国は国家の生存の基本の防衛問題を日米安保条約に基づきアメリカに依託し危険や戦争の恐れのない楽園の中で生存を確保できたが、世界もアメリカも変わり厳しさを増す国際情勢の中でこのユートピアは永続される保証はない。今後も国民の負託にこたえる自衛隊の役割は高まるであろう。
そしてわが国は核つき中国、ロシア、朝鮮半島に隣接し北東アジアの緊張は日増しに高まっており、この現実から目をそらすことは出来ない。
一方アメリカのアジア戦略のトランスフォーメーション(tranceformation 一再配置)の中で沖縄の米軍の一部がグアム島に移転し韓国からも米軍の兵力は削減しつつある今日、グアム、沖縄とのトライアングルの中で硫黄島の戦略的重要性は戦前にも増して高まっている。
私はこの島で多くの自衛官に接し、任務に励む凛々しい姿にこの国の未来への希望をつなぐことができた。
海・空基地司令、私の講話を熱心に聞いて頂いた若い自衛官、そしてお世話頂いた皆様に心より感謝とお礼を申し上げる。