あの戦争から学ぶ「日本人の特質」

 本稿は、「情報さいたま」平成22年5月号に掲載されました。

1.性善説と性悪説

  • 中国古典の中で人間を信頼してやっていこうと性善説を唱えたのは、孔子、孟子の教えの儒教です。人間の本性というものはもともと善だと考えます。これに対して人間というものはもともと信用しがたい生き物であり、人間の本性はもともと悪だと考える旬子の教えであり、人間関係も国際関係も警戒心を持って対応しないとならないと言う立場です。典型的な性悪説は「韓非子」です。
  • 日本の社会は昔から伝統的に性善説であり、過大な期待をかけ、ビジネスにしてもお互いの信頼の上に立っていこうとする温かい社会です。
    ヨーロッパやアメリカは明らかに性悪説の前提に立つ契約社会です。ロシアなども人間など信頼できない前提で動いています。中国もどちらかというと性悪説だと思います。
  • 国家間では、イタリアの政治学者マキャベリ(1469〜1527)が国家発展のためには、いかなる悪辣な権謀術数を用いても許されると主張したマキャベリズムがその典型です。
  • 現在の中国社会でも汚職が目に余ります。そして汚職の摘発の100%が密告からです。政府が密告を奨励し報奨金を渡しております。権力闘争はあらゆる組織、あらゆる機関でやっており、性悪説の社会は油断もスキもない厳しく冷たい社会です。

2.最悪の事態を想定する西洋文化

  • 日本はアメリカとの同盟によって危険や衝突のおそれのない楽園の中で生きてきたが、日本がアメリカに対する信頼を抱きつづけてもこのユートピアを永続させることは出来ないでしょう。
    戦後社会のおいても「治にいて乱忘れ」「国際的環境の顕著な悪」の存在にも目をつむり、昔も今も私達に「危険や衝突のおそれ」のある現実を直視し続ける強靭な精神力を持ち合わせていないので「希望的観測」の中で生きているのではないでしょうか。
    「あの戦争」においても北進論から南進論となり南方へ進出したがその前提には陸・海軍の軍人の多くがアメリカの国力を十分知っていたがアメリカの国力の戦力化には相当時間がかかるだろうし、やがてドイツが対英戦に勝利してアメリカは戦争継続の意思を失うだろうという「希望的観測」に従ったためという。
    帝国陸軍は「希望的観測」におぼれたのであり、それは「最悪の事態」を突き詰めて考えない国民性がある。
  • 欧米の文化は個人についても国家についても「最悪の事態」を想定する文化である。「あの戦争」はアメリカの物量作戦よりも戦略的思考で「知力が力」にならない文化との大きな格差があったのではなかろうか。

3.民族の深部に根差した現象

  • 私達日本人は一人でいる時には小心で臆病だが、集団になったとたん厚顔無礼傲慢になるというのが内外ともに定着した評価のようだ。なぜこうなったといえば、「個人の独立性が乏しくしたがって自分自身の思考と判断で行動せず、もっぱら情緒に流されるだけだからだ」と一般化した説明があるが、一時期の旅行客の行動はもちろんのこと労働運動や住民運動といった近代社会では「正当な集団行為」でさえ時には今なおある種のやりきれなさを伴う時がある。
  • ギリシャの哲学者アリストテレスの人間感は「人間は社会的動物である」と述べているように人間は本質的に群棲動物なのだから、どんな民族でも集団となれば当然サディスティックな側面を持つが私たちはその度合いが少し強すぎるのと個人主義の名のもとに集団マナーの訓練に乏しいという事かも知れない。
  • 権力や組織の背景を失うと、多くの日本人は別人のように弱かった。それを知りつつ私もその一人だった。それは単なる敗戦後の虚脱というものではなく、もっと民族的な深い現象のように思われた。

「あるシベリア捕虜収容者の手記より」

4.日本人の精神主義と主観主義

  • 生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すことなかれ
    (昭和16年1月5日、東条英機陸軍大臣が全陸軍に示達した戦陣訓の中にある言葉)

日本軍は「戦陣訓」に示されたようにやむを得ず物量の不足を精神力と質で補う考え方が支配していた。
米軍は合理主義精神そのものである。日本の海軍要務令、作戦要務令に当たるSurround Military Decition―健全なる軍事判断―には、いかなる精神主義もなく、軍事判断の条件として三つの原則を考えていた。

  • 第1がスタビリティ (Stability 適合性)
  • 第2がフィージビリティ (Feasibility 実現可能性)
  • 第3がアクセプタビリティ (Acceptability 受容性)

望む結果を達成するため総体戦力の中で損失の結果を受容できるか否かの視点のみが判断の基準だったと言う。
そして戦闘においては「大和魂」も勇者を尊ぶ「ヤンキースピリット」も変わらなかったのである。

5.日米同盟を基軸にアジアと共に栄える時代

 日本の明治維新以降を振り返ると前半は富国強兵で軍事に後半は経済で世界史の中で主要な役割を演じてきました。特に日清戦争は、中国の孫文の三民主義を唱える(辛亥(しんがい)革命(かくめい))へと連なり、日露戦争は白人主義の世界から植民地解放の希望を与え、帝政ロシアの弱体化はロシア革命の遠因となり世界の体制を変える大きな契機となり、戦後はアメリカに次いでの経済大国となりました。

 日本の果たした役割は、先人達の多くの犠牲と努力の結果であり今日があるのです。

 今日対外的には米中の圧力が強まり、内的には少子高齢化が進む中で、日本はどうなるのか、日本の進路は黄信号から赤信号に変わっております。戦後六十五年日本の安全を保障し、同じ価値観を共有する日米同盟を主軸として太平洋国家として発展著しいアジアの諸国と共存共栄の世界を目指し、閉塞した社会を変革し次の世代に渡すことが私どもの努めではないかと思います。

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