New Publication−近著書

鎮魂の摺鉢山

さいたま市 須原屋書店にて販売中 定価1,700円(消費税込)

鎮魂の摺鉢山

秋本昌治(写真・文)
平成18年11月1日 関東図書(株) 発行

鎮魂の摺鉢山 裏表紙

ご希望の方へは郵送もいたします。FAXにてお申込ください。(送料込 2,000円)

申込先:秋本事務所 FAX 048-866-0218

摺鉢山「水兵砲台14cm砲」

摺鉢山「水兵砲台14cm砲」

鎮魂の摺鉢山 裏表紙

摺鉢山山頂から島全体を見渡すことができる

TEXT.BY 秋本 昌治

太平洋戦争の激戦の地、硫黄島を見ることは戦闘の凝結された姿の日米の地獄の戦場を知ることになります。

摺鉢山の戦いはピューリッツァー賞を受賞したジョー・ローゼンソール氏の写真により、アメリカ国民の国威掲揚させた場面として歴史的に有名であり、今公開されているクリント・イーストウッド監督のアメリカから見た「父親たちの星条旗」、日本側から見た「硫黄島からの手紙」によって多くの人々の関心を呼んでおります。

ワシントンD.C.のアーリントン墓地に「海兵隊―イオウジマメモリアル」がありますが硫黄島にも日米の多くの記念碑と慰霊碑があります。

 私は終戦から61年、本年8月30、31日に講演の目的で硫黄島を訪ねて太平洋戦争の戦跡が封印されているような島内を一巡することができました。

 栗林忠道中将の指揮した小笠原兵団司令部壕跡に入ると、地下の猛烈な湿度や温度でサウナ風呂のように全身汗まみれになりました。

地下壕は、補給は断たれ資材不足の中で全長28キロの計画のうち18キロ程度しか完成を見なかったが、スコップとツルハシで地下壕工事に従事していた将兵の苦労が忍ばれる戦いの跡でした。

この炎熱の地下壕の中で、多くの将兵がよく耐え、戦意を失わなかったのは驚きであります。

5日で平定を想定して上陸した米軍と戦史に残る36日間の死闘を繰り広げたのです。

死傷者の数も米軍の方が多く太平洋戦争を通じてアメリカ国民の最も「記憶に刻まれた」戦いであった。

今でも訓練のため硫黄島に降り立つ米兵は、必ずといっていいほど「摺鉢山はどこだ」と在島の自衛隊員に尋ねるという。

戦後わが国は国家生存の基本の防衛問題をアメリカに依託し、生存を確保できたが、厳しさを増す国際情勢の中でこのユートピアは永続される保証はない。

 核つき中国、ロシア、朝鮮半島を抱える北東アジアの緊張は増し、過激なナショナリズムも台頭している。アメリカのアジア戦略の見直しで、沖縄の米軍の一部がグアム島に移転し、韓国からも米軍の兵力は削減しつつある。グアム、沖縄とのトライアングルの中で、硫黄島の戦略的価値は戦前に比しても重要になっている。

 しかし私は硫黄島で任務に励む多くの自衛官の凛々しい姿に接し、日本の未来に明るい希望をつなぐことができました。

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発刊によせて・・・
衆議院議員 額賀nu郎

額賀前防衛庁長官と筆者

額賀前防衛庁長官と筆者

 平成18年8月2日、私は防衛庁長官として硫黄島の視察に行ってきました。太平洋戦史の中で、硫黄島の戦いは、日本にとっては本土決戦の前哨戦的意味を持つ一方、米国にとっても日本本土上陸の橋頭堡を築く目的を持っていただけに、日米双方が死闘を演じた戦場として有名です。

 戦後61年を経た今、数多くの戦跡が失われていく中で、今度出版された硫黄島の写真集は、戦争の悲惨さと戦争が後世の人々に何を訴えているかを考える上で極めて貴重な資料となっています。

この硫黄島の写真を通じて、太平洋戦争のすべての戦没者に鎮魂の祈りを捧げます。

平成18年(2006年)8月30日 硫黄島にて
秋本昌治

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日本の硫黄島戦没者顕彰碑
碑の日本列島には各都道府県から持ち寄られた石が貼りつけられている。(摺鉢山山頂)

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自著『鎮魂の摺鉢山−硫黄島』『故郷の山河―君にめぐりあいたい』を紹介する筆者

『硫黄島を訪ねて』講演中の筆者
浦和東武ホテル
(平成18年11月4日)

パインズホテルにて
(平成18年11月22日)

沈船群より摺鉢山を望む

沈船群より摺鉢山を望む
― この黒い砂浜は上陸する米海兵隊にとって呪われた海岸といわれた ―

戦没者将兵天山慰霊碑

戦没者将兵天山慰霊碑

この島で戦死した将兵のために、旧厚生省が建立した慰霊碑。壕の中で渇きに苦しんだ兵士のために、訪れた人々は、献花して御影石の遺骨箱に水をかけ祈りを捧げる。

この遺骨箱の先には、海がひらけ望郷の本土に向けて置かれている

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『各紙の紹介記事』

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産経新聞
(平成18年(2006年)11月14日)

東京新聞
(平成18年(2006年)11月20日)

埼玉新聞
(平成18年(2006年)11月20日)

毎日新聞
(平成18年(2006年)11月24日)

読売新聞
(平成19年(2007年)1月7日)

産経新聞
(平成19年(2007年)6月22日)

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【読者からの感想文】

硫黄島の最近の話題

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産経新聞(平成19年(2007年)7月28日)

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産経新聞(平成19年(2007年)6月22日)

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『硫黄島いまだ玉砕せず』上坂冬子
ノンフィクション作家、正論メンバー 上坂冬子さん死去

母校 県立浦和高等学校の図書館に謹呈

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