六辻・新国道の由来とお稲荷さんの縁起
当地は明治22年4月北足立郡六辻村となり、昭和13年7月に町制が施行され六辻町と変わり大字辻・根岸・文蔵・白幡・沼影・別所の六字で成り立っておりました。
昭和17年4月に浦和市に合併し、東京への玄関口として今日まで発展しております。
六辻小学校、六辻中学校の名もあり、六辻の交差点、水辺公園及び交番もその名残であります。
昭和初期の不況対策として昭和8年7月に中山道沿いに国道17号線が、大宮―志村間で開通し、当時から地元民は「新国道」と呼んでおりました。
六辻バス停 |
お稲荷さん |
昭和21年当時には、何台ものジープを連ね大型ワゴン車に米兵を満載した進駐軍が北上いたしました。昼間からライトをつけて一面田圃の中の「新国道」を堂々と通過する光景は、長い戦争の後で疲れた目には新鮮に見えました。
お稲荷さんは当地の昔からの農耕社会の「五穀豊穣」を祈る土俗信仰であり旧家の裏手には、各戸に祭られ信仰されております。
このお稲荷さんは「床上げ稲荷」と呼ばれており、無病息災を祈る社でありますが、「新国道」の開通を記して宮の腰(秋本家の屋号)の地より地域の発展を願いここに遷宮いたしました。
MY TOWN 追憶 平成11年10月20日
17号国道 |
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六辻交差点 |
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辻の新田 開発から水辺公園へ
徳川8代将軍吉宗は幕府財政建て直しのため、新田開発を押し進め、その一つが浦和市東部に広がる見沼の開発でした。江戸時代初めの寛永6年(1629年)
見沼溜井
が造られ新田開発が進みましたが恒常的な水不足に悩み、吉宗は土木技師―井沢弥惣平為承
に命じ利根川から水を引く事とし、見沼代用水を享保13年(1728年)の春に完成させました。
その当時の辻村や根岸村は見沼溜池 の時代からその用水も利用していたと思われますが、見沼代用水により江戸時代中期には新たな新田開発も進み辻の耕地は潤いました。この用水は当時の笹目領内谷村で荒川に落ちておりました。
昭和に入って現在の笹目 川(旧中央排水路)が浦和の排水路として完成し、この川に流れ込んでおり、現在の水辺公園(平成3年)の水路が旧用水路です。
しかし戦後、特に昭和35年頃より都市化の波は当地にも及び、昭和39年以降この辻の田園一帯は土地改良を施行し、現在の街づくりの基となりました。(昭和46年竣工)
その後に市立南高(昭和38年)、辻小(昭和43年)、南中(昭和47年)、つくし幼稚園(昭和48年)もこの地区に設置され文教住宅地域となり、新幹線(昭和57年)、埼京線(昭和60年)、外環道路(平成4年)の開通により人口が急増し、都市化へと大きく変貌 しております。
MY TOWN 追憶 平成12年10月20日
浦和つくし幼稚園 |
秋本武道館 |
稲荷屋酒店 |
秋本武道館 |
六辻水辺公園 |
水辺公園 |
辻・熊野神社 |
辻・熊野神社 |
かつて辻・熊野神社に安置されていた仏像。 |
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関東最古の大社とされる鷲宮神社 |
鷲宮神社本殿 |